梅が香


Chapter 2 * 2. Fukucho

「何ですかィ、それ……」

「何って、マヨネーズに決まってんだろ」

さぞ当たり前、という顔をして土方は懐からプラスチックの容器を取り出した。 赤いキャップを開けて容器の中身を丼の上にたっぷりとかける。

「食うか?」

容器から大量に盛り付けられたそれ――、マヨネーズがとぐろ状に鎮座する丼を目の前に差し出され、総悟は目を丸くした。 丼にあったはずの海鮮が黄色い液体に隠れて完全に見えなくなっている。

「うめェぞ。とりあえず一口食ってみろ」

真顔でそう言う土方の言葉につられたのか、向かいに座る総悟が丼を受け取り箸を取る。 マヨネーズとその下に沈む海鮮をなんとか取り出し、ぱくりと口に含んだ。

土方が、じっとその様子を見ている。

小さい口を動かし、ごくりとそれを飲み込んだ総悟は何やら難しい顔をして土方を見る。

「…………」

「どうだ、うめェだろ」

「犬の、えさ……」

総悟が俯きぼそり、と呟く。

「あ……?」

「いや、何でもねェです。俺は普通ので十分でさァ」

総悟はコップに入った水を飲み干し、マヨネーズがかかっていない自分の丼の方に向かった。

今日、土方は総悟を伴い相州の漁港に来ている。 海が見てみたい、という総悟の要望に応えるようなかたちで江戸から電車を乗り継ぎここまでやってきた。 梅狩りに出掛けて以来、時間を見つけては土方が総悟を外に誘うようになっていった。

普段暇つぶし程度にしか利用していなかった映画館に総悟を連れて行ったこともあれば、総悟がどうしてもというのでサウナに行ったこともある。 江戸の甘味処や四越デパートの菓子売り場で時間を過ごすこともあった。

行く先々で、総悟は興味津々といった様子で行き交う人々をじっと観察し、わからないことがあれば遠慮なく質問してくる。 食事に行けば、儚げな雰囲気に似合わず平気な顔をしておかわりを要求する。 つい先日初めてファミレスに連れて行った時は、無料で白飯を大盛りにできることを知って痛く感動していたようだった。

茶屋にいる時は白磁の人形のような印象を受けるが、こうして一度外に出ると年相応の無邪気な子どものように見える――。

面白い奴――。

土方は隣で一心不乱に海鮮丼を食する総悟を目を細めて見つめていた。

    ◇

「土方さん、最近は忙しいんで?」

海鮮丼を腹に収めた総悟が、デザートメニューを見ながら尋ねる。

正直なところ、忙しい。しかし土方はいつものとおりに答えた。

「まぁまぁってとこだな」

先日総悟から届いた手紙にも、「お忙しいとは存じますが」という一節が書かれたことを思い出した。 今年の冬に完成した法度を本格的に運用し始めてからというもの、内政にかける時間が格段に増えていたが、ここ数日の忙しさは群を抜いていた。

最近は、数か月前に入隊した隊士らがよからぬことを考えているという監察からの報告も受けている。 今の所は睨みを効かせているが、このまま何も起こらないとは思えない。もしそうなれば、法度の定め通りに行動するだけなのだが。

そこまで考えを巡らせて、店員を捕まえてあんみつをオーダーする総悟の声に土方は我に返った。 総悟と過ごす時間に、真選組内のいざこざについて考えるのは避けたい。

今日総悟を江戸の外に連れ出したのも、しばらくは今までのように頻繁に会うことができないと思ったからだ。 一悶着、あるかもしれない。土方は懐から煙草を取り出し火を付けた。

あんみつを待つ総悟が、二人が座る席の窓から見える漁港の風景を眺めている。 薄い桜色の単衣をまとった総悟は、清廉に映った。色を売るはずの陰間に対して清廉というのは、いささかおかしいのかもしれない。 しかし、そう感じさせる何かがあった。

いい水下げ客は、見つかりそうか――。そう尋ねようとして、土方は思いとどまった。 仮に総悟が誰かにそういった意味で買われたとしたら、その清廉さは失われてしまうのだろうか。 土方は無言で紫煙をくゆらせ、総悟があんみつを食べる姿を見つめていた。

    ◇

「ごちそうさまでした」

店の出入り口で総悟が頭を下げる。その拍子に結わえていた髪が揺れた。

「お前の腹が膨れたみたいでよかったよ」

帰る前に、もう一度海が見たいという総悟の要望でそのまま二人は港へと向かう。 駅から少し離れた小高い丘に着くと、総悟が港を行き来する船を見ながら口を開いた。

「土方さん」

「ん?」

「俺、また車に乗ってみたいんでさァ」

「車か。いいな」

「また、どこかに連れて行ってくだせェ」

笑顔でそう言う総悟に、その日、土方はしばらく会えなくなることを伝えられなかった。

漁港の最寄駅から江戸に向かう列車の中で、土方は眠りに落ちてしまった総悟の体をそっと引き寄せる。 肩を抱くようにして自分に寄り掛からせた。胸元に匂い袋でも忍ばせているのだろうか、総悟の香りを強く感じる。

いつもあの部屋を訪れる際に包み込まれる芳醇で上品な匂い、そして度々送られてくる文に染み込まされたささやかな匂い――。 これからしばらくは、直接この香りに触れることはできない。土方はそっと総悟の頰に顔を寄せた。

    ◇

生憎、仕事が立て込んでいて時間が見つけられそうにない。二、三週間ほどしたら、また必ず顔を出す――。 一気に書き上げると、土方は墨が乾くのを待って文を畳んだ。表書きを書き終えたところで障子越しの気配に気づき、入室を促す。

「調べが付きました。全員、先々月に入隊した同じ流派の隊士です」

さり気なく周囲の気配を確認して素早く入室した山崎が手短に報告した。

「やはり品川の茜屋で外の奴らとつながっているようです」

山崎が店に出入りする隊士の写真を数枚差し出した。 指名手配中の攘夷志士との密談の様子を捉えたものもある。

「これで白黒はっきりついたな」

「そう、ですね」

一部の真選組隊士が、攘夷志士とつながっている――。そんな疑惑が出はじめたのは、春を迎える頃だった。 山崎をはじめとする監察方の入念な調査の甲斐もあり、その証拠が次々と明らかになりつつあったのだが、ここにきて急展開を迎えている。

「奴等が局中法度の最初の違反者だ。容赦無く叩っ斬る」

組織の統制のためには掟が不可欠だ。掟を定めると、必ずその規則を破る者が現れる。 しかしそれでいい。内部の統制は、ある意味こうした掟破りの者たちの犠牲の上に成り立つ。 真選組がただの浪士の集まりではなく、掟の元に合理的に動く集団であることを内外に示す必要があった。これはまたとない好機ともいえる。

「永倉と斉藤、それに原田と井上をここに呼べ。近藤さんには俺が直々に状況を説明する」

「わかりました」

「あと……」

土方は先ほど書き終えた文を山崎に差し出した。

「これを湯島の茶屋に届けてくれるか。適当に日持ちのする菓子も差し入れてやってくれ。真選組と俺の名前を出せばわかる」

「これが例の……」

山崎が表書きにある名前を見て、呟いた。

「例の、何だ」

「いえ、何でもありません。承知しました。隊長たちに声をかけた後、その足で湯島まで届けてきます」

「頼む。文は、必ず本人に渡してくれ」

山崎が無駄のない動きで退出すると、土方は再び文机に向かった。

この粛清は、必ず成功させなければならない。奴等とつながっている攘夷志士も、一人残らず捕縛する必要がある。 土方は以前山崎から受け取っていた茜屋の見取り図を眺めながら、煙草に火を付け大きく息を吸い込み、吐いた。

    ◇

山崎は四人の隊長に声を掛けると、覆面パトカーですぐに湯島に向かった。 その茶屋に赴くのは今回が初めてだが、土方がそこの一室を借り上げて仕事場にし、 有事の際には真選組の者が使えるように取り計らっていることは把握していた。 いざという時のために、茶屋の場所をそれとなく確認しに来たこともある。

途中、老舗と呼ばれる店で適当に煎餅を買い求め、茶屋の裏手に車を止める。 ちょうどそこで何やら掃除をしていた女中に声を掛けて事情を説明し、店の中に案内してもらった。

副長がやり取りをしている人がいるということは、随分と前から山崎の耳にも届いていた。 監察の自分を介してこの文を本人に直接渡そうとしているところをみると、重要な知らせだと思われる。

「総悟さんなら、いつものお部屋にいるはずです。どうぞこちらへ」

大階段を登り、廊下をしばらく行った突き当りの部屋まで案内される。 美しい花々が咲き乱れる様子が描かれた一際豪華な襖の前で、女中が一声掛けた。

「へぃ、どうぞ」

一呼吸置いて、女中の手でゆっくりと襖が開けられる。 一礼をした山崎が目にしたのは、豊かな亜麻色の髪を下ろして灰色の長着の襟を大きく広げ、白い肌を露出させる人形のような少年の姿だった。

「まぁ総悟さん! なんて格好を……」

山崎の後ろに控えていた女中が慌てて入室し、総悟と呼ばれた少年の襟元を山崎から隠すようにして座る。

「別に見せても減るもんじゃねェでしょ」

「そういう問題ではないでしょう。まったく、旦那様に知られたらまた叱られてしまいますよ」

「昨日昼寝した時に引っ掻いちまったところに薬塗ってただけでィ」

その少年は渋々といった様子で襟元を正すと、山崎に向き直った。

「お兄さん、真選組のお人で?」

「あ、えっと……はい。山崎、山崎退って言います」

突然話しかけられた山崎はしどろもどろになりながら答えた。

「あの、副長から沖田総悟さん宛に文を預かっています。必ずご本人に直接渡してほしいと、副長から頼まれまして」

畳の上に、総悟宛の文を置き、山崎が正座をしたまま、再び軽く頭を下げた。

「あと、これは差し入れです」

老舗の煎餅屋の紙袋も添える。

「どうも」

総悟も軽く会釈をし、畳に置かれた文を手に取った。数秒の間、表書きをじっと見つめた後、爪が綺麗に整った指先で中身を改める。

「……すぐに返事を書きやす。ちょっとお茶でも飲んで待っててくだせぇ」

その言葉を聞いて、女中が山崎から腰の一振りを受け取り壁の刀掛けに掛ける。 部屋の中心にある長テーブルの上に用意されていた湯飲みに茶を入れると、山崎に席に着くように促した。

総悟が部屋の隅から硯箱と筆が入った箱を持ってきて、テーブルの上に広げる。

墨の匂いが漂いはじめ、総悟が筆を動かし始めた。

「……」

亜麻色の長い睫毛に彩られた瞳を伏せて筆を走らせる総悟を一瞥した後、山崎は湯飲みを手に持ち茶を一口含んだ。

総悟から、甘い匂いが香ってくる――。山崎は、土方とこの総悟と呼ばれる少年との間にある何か大切なものを垣間見てしまったような気がした。

熱い茶を喉に流し込み、山崎は総悟が手紙を書き終えるのを静かに待っていた。

「これ、土方さんに」

しばらくして、筆を擱く小さな音が聞こえた。 白く細い腕が伸び、テーブルの上に「土方十四郎さま」と書かれた文が置かれる。

「確かに受け取りました。必ず副長に渡しておきますね」

文を懐にしまうと、山崎が立ち上がる。総悟が刀掛けから山崎の刀を取り、うやうやしく山崎の前に差し出した。

「今の山が落ち着いたら、またここにも顔を見せるはずですよ、副長」

総悟から刀を受け取りながら、山崎が安心させるように言った。

「……」

襖に手をかける山崎の後ろで、総悟が正座をして一礼した。

    ◇

――あの副長がねぇ……。

茶屋から屯所に戻るパトカーの中で、山崎はどこか夢見心地の気分でいた。 今日実際に沖田総悟の姿を見て、頻繁にあの部屋に訪れる土方の気持ちがわかるような気さえする。 監察という仕事に就いてからしばらく経つが、総悟は今まで潜入したことのある遊郭や女郎部屋の遊女たちとはまた違った雰囲気があった。

――いかんいかん。切り替えないと。

山崎は大きく息を吐いて気持ちを整える。今は真選組にとって踏ん張り時だ。気を取り直してハンドルをしっかりと握り直した。

    ◇

山崎が総悟から直接受け取った文を土方に届けた二週間後、土方は局の精鋭を率いて茜屋を取り囲んでいた。先に店に潜入させておいた監察方の合図を待つ。

店の二階の一角の行灯がふっと消えた。

それを見た土方は右手を軽く上げた。瞬時に黒い隊服に身を包んだ男たちが方々に散る。 数十秒後、茜屋には女郎達の悲鳴や志士達の怒号が響いていた。

季節の変わり目の、湿っぽい雨が降る夜の出来事だった。