梅が香


Chapter 1 * 2. Hatto

湯島の陰間茶屋の一室を借りる契約をした翌日の晩、土方は品川の馴染みの部屋で女を抱いた。 やはり馴染みの店は気が楽だ。おかしな気を回さなくて済む。 一夜は明かさず、目的だけ終えると晩の内に屯所に戻った。

とにかく今はやらなければならないことが多い。 先日の討ち入りの報告を上に提出するのはもちろん、隊内の整備にも迅速に取り掛からなければならない。

    ◇

湯島を訪れてから数日後の午前中、土方が自室で書類の中身を確認していると部下が文を運んできた。 一目見て、それが遊里からのものであるとわかった土方は舌打ちをする。

この類の文は、返事が実に面倒なのだ。 そもそもこのような文を出してこない店の女を選んで抱いているというのに、一体どうなっているのか。

土方さまという宛名の手跡に見覚えはなかったが、紙から香る匂いに土方は文を手に取った。 文の中身ではなく、まずは差出人を確認する。 末尾に書かれていた名前を見て、やはりと思った。

――沖田総悟。

あの日、苗字までは聞いていなかったが湯島の茶屋で会った総悟に違いない。 急いで中身を改めると、そこには店に来てくれたことの礼や次はいつ姿を見せてくれるのか、という定型化された文が連なっていた。

大したものだ、と土方はある意味感心した。まるで高級遊女を相手にしているような気になる。

そのまま読み進めていき後半に書かれていることを見た途端、土方は吹き出した。 そこには江戸中の甘味処とその名物が記してあり、部屋を訪れる際にはぜひ持ってきてほしいという一文が添えられていた。

そういえば部屋を総悟ごと借りると本人に告げた際、菓子でも食ってゆっくりしてろ、と言った気がする。 その役目を果たすためにも、ぜひ菓子が欲しいということなのだろう。

――こんなに色気のねェ文をもらったのは初めてだ。

土方は総悟からの文を懐にしまうと、刀を腰に差し屯所を後にした。

    ◇

「すげェや。これ全部食っていいんで?」

数時間後、土方は湯島の茶屋を訪れていた。 総悟からの文を読んだ後、デパートで菓子を買い求め総悟に手渡すと緋色の瞳を輝かせて喜んだ。

「好きにしな」

無邪気にはしゃぐ子どもを見て悪い気はせず、亜麻色の丸い頭をポンポンと撫ぜてやると部屋の奥に置かれた文机に向かう。 そこには契約書にある通り、紙と筆が用意されていた。

「しばらく、ここを借りるぞ。仕上げたい書類がある……って聞いてねェな」

総悟は土方の買ってきた菓子の箱を並べ、中身を見比べていた。 煎餅やあんみつ、饅頭や洋菓子など、総悟の文に書かれていた菓子をいくつか買ってきてやったがここまで喜ばれるとは思わなかった。

「こんなにたくさんの菓子をもらったのは初めてでさ」

総悟はどの菓子から食べるのかを散々悩んだ挙句、ざらめ煎餅を手にしたようだった。 女中に用意させた茶をすすりながら、ぽりぽりと煎餅を頬張る総悟の頰がリスのように膨れ上がるのを見て、 土方は自分でも気がづかないうちに微笑んでいた。

「おい、一度に食い過ぎると太るぞ」

「余計なお世話でさ。陰間は少しぽっちゃりしてるぐらいがモテるんでィ」

煎餅はもう飽きたのか、他の菓子に手を伸ばした総悟は微笑んでいる。 これがこの子どもの素の姿なのかもしれないと思い、土方は文机に向き直った。

    ◇

「土方さんの字、綺麗ですねぃ……」

手を動かしていると、いつの間にか総悟が斜め後ろから文机を覗き込んでいた。 土方に茶が入った盆を差し出すと、文机の横に移動し土方の認めている書類を眺めている。

――子どもとはいえ、本来部外者が見て良いもんじゃねェんだけどな。

本来は、そうである。しかし総悟は土方がこの部屋を借りている限り他の客を取ることはなく、 外出も客の同伴以外は厳しく禁じられている。総悟が接する人間は少なく、もし内容が露見したとしてもそのルートを辿るのは容易い。 それ以前に、書類の内容がこの子どもに理解できるとは思えなかった。

「法度……? 難しそうな内容で俺にはわかりやせん」

目を凝らして書類を見ていた総悟が諦めたように首を振った。

「これは真選組の規則だ。ここの茶屋にもお前が守んなきゃいけねェルールがあんだろ」

「へぇ。勝手に外出するなとか、においのキツイもんは口にするなとか……」

「そうだ。俺のいる真選組ってのは旗本出身の他の警察とは違って、元々は農家や町人出身の奴らがほとんどだ。 田舎道場出身の輩なんぞ血の気の多い野郎ばっかりでな。そういうやつらを組織としてまとめるにはこういう規則が必要なんだよ」

「へぇ……お侍さんは大変なんですねぃ」

「まぁこれも仕事のうちだからな」

「土方さんはどんなことをするのがお仕事なんで?」

純粋な子どもの問いかけに、どこまで本当のことを教えるべきか土方は少し戸惑った。 一言で言うと、江戸の治安を脅かす過激な攘夷志士を抑え込むのが真選組の仕事だ。そのためには志士を斬り、時には拷問にかけることもある。 副局長を務める土方の役割は多く、表沙汰にできない事件を秘密裏に片付けたこともあった。

「俺は副長なんでな。局長の近藤さんの補佐が基本的な役回りだが、討ち入りの指揮や隊内の整備もなんかも基本的には俺がやる」

「ふくちょう……」

「そう。副長」

「土方さんって偉い人だったんですねぃ……」

総悟は土方の話を理解したのかしていないのか、丸い目を更に見開いている。

「そうでもねェよ。まぁ菓子ぐらいは買ってきてやるけどな」

ここで土方は仕事に区切りを付けることにした。日も落ち始めている。

「夕飯、寿司でも取るか」

「やりィ。ちょうど腹が減ったと思ったところだったんでさ」

あんなに菓子を食っていたくせに、夕飯とは別腹らしい。 部屋の中央に置かれている机には総悟が食い散らかした菓子の袋が小さな山のようになっていた。 育ち盛りの子どもらしい発言に土方は苦笑すると女中を呼び出し、出前を取るように頼んだ。

    ◇

「そういやお前、ちゃんと水下げ客は探してるのか」

外見に似合わず二人前の寿司をペロリと平らげ、茶をすする総悟に土方はふと問いかけた。

「ん〜、まぁぼちぼちってとこでさ。この間も隣で大きな宴会がありやしたけど、来たのは天人のお客さんがほとんどでしたねぃ」

「……陰間も色々大変なんだな」

正直なところ、陰間の仕事や事情に興味があるわけではなかったが、 こんなに幼い子どもが自らの処女を捧げるのが天人というのは確かに気の毒であるように思えた。 せめて侍を客に取りたいという総悟の願いはわからないわけではない。

「……まぁ、そこそこ格好良くて稼ぎがあるお侍さんだったらいいんですけどね」

先ほどとは打って変わって、総悟が初対面の時のように白磁の人形のように見えた。 このような場所で働いているということはそれなりの家庭の事情があるということになる。 あまり個人の事情に踏み込むと後々面倒であるため、これ以上深入りはしなかった。

明日は事件現場に直行することを告げた土方は、 先日初めてこの場所を訪れた時のように床の準備をさせ布団に潜り込んだ。

衝立の向こうから明かりが漏れている。カサカサと何やら紙が擦れる音がかすかに聞こえていて、総悟はまだ起きているらしい。 次に来るときは何の菓子を用意しようかと考え、土方は眠りについた。

    ◇

「どうぞ」

「悪りィな」

朝食を終えた後、仕事に向かう土方の身支度を総悟が手伝う。 総悟が土方の背後に周り、腕を通しやすいように真選組の黒い隊服のジャケットを広げた。

最後に総悟は壁の刀掛けから二振の刀を取り、土方に差し出す。

「これ、この部屋に置いとけ」

土方は差し出された脇差を総悟に返した。

「え?」

「ただの万が一の備えだよ。まぁここで何か起こるとは思えないがな」

きょとんと大きな瞳を見開いたまま、総悟は脇差を受け取る。

「真剣だからな。扱いには気をつけてくれよ」

ポンポンと総悟の頭を軽く撫ぜ、土方は茶屋を後にした。

    ◇

「これ、この間お前が言ってた何とか屋のケーキ」

「すげェや土方さん! これ行列ができて中々手に入らないって有名なんですぜ」

それからというもの、土方は数日おきに茶屋を訪れては総悟に菓子を差し入れていた。 昼前に菓子を買い求め、午後には総悟がいる奥座敷で書類仕事に集中する。そして夕食を取り、朝は現場に直行――。 この一連の行動が、習慣になりつつあった。

稀に土方が顔を見せる頻度が落ちると、決まって総悟から屯所にいる土方に文が届く。 そこには次に食べたい菓子のリストが書かれており、 土方はそこに載っている情報を頼りに菓子を購入し、茶屋で待つ総悟に届けていた。

――珍しく副長が特定の相手と長続きしている。

総悟から届く文を副長室まで届けている部下たちの間では、そんな噂まで立ち始めるようになっていた。