梅が香


Chapter 1 * 1. Yushima

おいトシ、入るのか入らねェのか、どっちだ」

「……入るよ。体が熱くて仕方ねェ」

土方は敷居の前で止めてしまった足を一歩踏み出す。廓独特の甘い女の匂いを吸い、体に篭った熱を解放することだけを考えた。

「そうこなくちゃな」

二カっと太陽のような笑みを見せ暖簾をくぐる近藤に土方も続く。腰のものを男衆に預けると、店主の案内のもと奥の座敷へと向かった。

土方が近藤とその門下数名と共に武州からこの江戸に来てから数か月が経つ。 剣一本で自分たちの居場所を掴み、浪士組改め真選組として正式に江戸の警察組織に組み込まれたのはほんの数週間前のことだ。

屯所を構え、数十人の隊士達を抱えた今は内政に四苦八苦していた。 御用改めと称して攘夷浪士の取り締まりを行うことはもちろん、慣れない書類作りや組織運営に欠かせない金策、総務的な仕事までとにかくやらなければならないことが多い。

今日も緊急出動で料亭に討ち入り、一仕事を終えたばかりだった。

土方も近藤もかなりの人を斬った。 屯所に戻ったところで寝るに寝付けないのは明らかで、体に篭った熱をどうにかするためにも近藤の提案で遊里に足を伸ばしている。

土方が普段こうして誰かと女を買いに来ることはほぼない。今回は誘ってきたのが近藤だったから乗ったまでだ。 討ち入りの後であっても一人でふらっと店に行き、適当に女を抱くのが常である。

斬った後、土方が抱くのは後腐れのないさっぱりとした女だ。 しかしさっぱりしているだけでは駄目で、振る舞いががさつな女は土方の気に入るところではない。 指先や肌の美しさも重要である。

今隣で土方の酌をする女は見目麗しく、所作もきちんと躾が行き届いている。 しかし袖の間から覗く腕の色が気に食わない。

――くすんでやがる。

一気に熱が冷めていった。流れで個室に案内されたものの、抱く気は毛頭なく、土方は身なりを整えて部屋を出た。

何かお気に召しませんでしたが、と慌てて機嫌を伺う店主に一夜分の揚代を渡し、土方は暖簾をくぐる。 すぐに懐から煙草を出し、火を付けた。歩くだけで、真冬の夜の空気が突き刺さる。 いっそこのまま屯所に戻って書き仕事をしようかとも考えたが、気持ちが落ち着かない。 討ち入り後の夜は、各隊の隊長や監察が副長室に出入りすることも多く結局自分の仕事が進まないことも多い。

とりあえず歩き出すが、すぐに立ち止まって懐から次の煙草を取り出し火を付ける。 何か満たされない、やるせなさを誤魔化すように土方は煙を肺に入れた。

しばらくぼうっと咥え煙草で歩いていると、どこからかかすかに長唄の音が土方の耳に届いた。 このまま歩き続けるのも寒さこたえる。女郎部屋か割烹か、そこそこの店であれば入ってしまおうと思い、土方は音を頼りに歩き出した。

仲見世の前の門で、土方は立ち止まる。いつもの女の匂いとは何かが違っていた。 そもそも、この辺りに廓や割烹があっただろうか。仕事柄江戸の地図は土方の頭に叩き込まれている。 暗いが近くに社が見えることから、湯島界隈に違いない。

――陰間茶屋か。

来る場所を間違えたと確信し踵を返そうとした時、ふっと提灯の明かりが見えた。

「そこのお侍さま、折角だからちょいと遊んでいかんかね」

いつの間にか門の前にいた男が、提灯を片手に土方を見ていた。

「いや、そのつもりはない」

これは正直な気持ちだった。女は抱くが、こうした店にいる陰間や色子に興味はない。 昔こそ女も男も嗜んでこその色道と持て囃されたこともあっただろうが、長く続いた戦の影響もあり男色は下火になったと聞く。 しかし開国をしてからは天人をはじめ、裕福な幕僚や商人の中には美少年を好むものも一定数いるらしい。 再び陰間茶屋が江戸に軒を連ねていることは把握していたものの、あいにく土方にそのような趣味はない。

「幕臣の方なら宿代わりに使って頂くだけでも。冷やかしでも構いません」

「……」

「今日は奥の座敷が空いていましてねェ。すぐにご案内できるんですが」

「いや、しかし」

お稚児趣味の金持ち連中とは一緒にされたくない。別に女に困っているということもないのだ。

「部屋とウチの子が気に入らなかったら、お代は入りやせん。今日は特に冷える。ただの宿だと思ってもらってかまいませんよ」

この寒さの中をあてもなく彷徨うのは得策ではない。 こうした店と関わり合いを持つのも、今後仕事を円滑に進めていく上で損にはならないだろうという考えも過ぎった。 抱かずに、ただ眠るだけ、という条件で土方はその男の後に続き、門をくぐった。

    ◇

「今支度をしております。もう少しお待ちください」

程よく暖められた部屋に通されると、酒と肴を運んできた年配の女中が土方に言った。 抱く気は毛頭ないのだから、誰もよこしてくれなくて良いと言ったものの、まぁ一目見るだけでもと押し通されてしまった。

酒を仰ぎながら部屋を見渡す。壁や畳の状態、また調度品を見る限り店ができてからさほど時間が経っていないように思われた。 その辺りの古びた遊郭や女郎屋よりもよっぽど居心地はいい。清潔感すら感じる、と土方は思った。

――幸い、ウチは筋の良いお客様が多いもんで。ありがたいことです。

この座敷に通された時、店の前で会った男が口にしていた言葉だ。こうした茶屋での遊びはとにかく金が掛かる。 必然と客筋は良くなるのだろう。土方がこうして一見で座敷に通されたのも、帯刀しており幕臣であることが明らかだったからだ。

――最近仕込みを終えたそれはそれは綺麗な子がいるんですがね。普通の客の相手は嫌だと突っぱねるんで。 旦那みたいな男前ならあの子も首を縦に降るでしょうよ。 何、しっかり躾は行き届いておりますんで、お酌ぐらいはさせますよ。

いくら美しいといっても男子は男子だ。着飾った男に酌をされたところで何が楽しいというのだろう。 付き合い程度に酒を飲んだら早々に休んでしまおうと思ったところで、するすると着物が床に擦れる音がし、土方がいる奥座敷の前で止まる。

「失礼します」

先ほど盆を運んできた女の声がし、襖がゆっくりと開かれる。 亜麻色の髪を結った頭がこうべを垂れていた。薄桃の着物と白地の打掛からのぞく指先は白く、爪も美しく整えられている。

「……こちらへ」

土方が静かに声をかけると、ようやく少年がゆっくりと顔を上げた。

丸い瞳は長い睫毛で縁取られ、桜色の紅を引いた唇が上品だ。何より、肌が白い。 少年が身に纏う打掛には蝶と薊の刺繍が施してあり、可憐さを引き立たせているように思えた。 恐ろしく顔の整ったその少年は、まるで白磁の人形のようだ。

土方はごくり、と生唾を飲んだ。 なるほど、美少年という言葉がぴったりだ。齢は十三、四といったところか。どこか儚げな雰囲気に、悪い気はしなかった。

土方の隣に来た少年が酒を注ぐ。 上品な香りが心地よく、近くで見るとより一層その肌の白さに驚嘆する。先ほど赤茶色に見えた瞳は緋色に輝いていた。 本当に血が通っているのかと思うほどに整った顔と肌の白さに、土方は少年の頰に手を伸ばす。 指先がすい、と頰を撫ぜたところで、少年がびくりと肩を震わせた。

触れられることには慣れていないのだろうか。本当に、悪い気はしない、と土方は思った。

「お前、名前は」

「総悟」

まっすぐ土方を射すくめたまま、少年の桜色の唇が動く。

「良い名だ」

一杯酒を注がせたら出て行くように言いつけるつもりだったが、土方の頭からその考えはすっかり抜け落ちていた。

「歳はいくつだ」

「今年で十四になりやした」

総悟という名の少年は表情を崩さずに答える。 年相応なのか、むしろ大人びているのか。普段相手にしている遊女や女郎よりも年下の少年に、土方はどのように接してよいものか少し迷った。

「……今日は、宿代わりにここを使う。お前を抱きに来たわけじゃねェ。悪りィな」

とりあえず、体の関係を持つ意思がないことを伝えておく。

「いい水下げ客が見つかったって、旦那様が」

何度も抱く気は無いと言ったのだが。水下げ客とは、大層な役割を押し付けられようとしていたらしい。

「俺は男は抱かねェ。もっと金持ちの水下げ客を探しな」

「お兄さんは、お侍さんなんでしょう」

総悟は壁の刀掛けに収められている土方の刀の方をちらりと見た。

「まあ、そうだな」

「……ここは天人かお坊さんのお客が多くて、どうせなら地球のお侍さんが良いって思ってただけでさ」

近くに大きな寺があることもあり、客としては僧侶が多いことは当然だろう。 新たな客筋を求めて幕臣との関係性を作ろうとしているのだろうか。

「なぜ、侍が良いと思う」

土方が問い、盃を持った手を下げると総悟が静かに徳利を傾けて酒で満たした。

「こう見えて、俺も昔剣を習っていたことがあったんでさ。お侍さんなら、相手にしてもいいかなってなんとなく」

確かに土方は幕臣だが、出身は武州の農家である。この少年が思う描くような侍とは程遠いのではないかと思った。

「侍にも、色々ある。俺は江戸の生まれでもねェし、少し前まで武州の田舎道場に居た」

「お兄さん、武州の出身なんで?」

総悟が驚くように土方の顔を覗き込んだ。

「俺の田舎も武州でさ」

「奇遇だな」

そこで初めて土方と総悟の視線が合わされ、空気が一気に和らいだ。

    ◇

「江戸に出てきて少し経ちやすが、武州のお人に会うのは初めてでさ」

聞けば総悟の生まれ育った家は近藤が道場を営んでいた場所からさほど遠くないことがわかった。

「もしかしたら、どこかですれ違っていたかもしれねェな」

「たしかに、そうですねぃ」

武州の祭りや地元で一番賑わっている店の大通りのこと、近藤の道場での出来事など、土方は他愛もない話を交わした。

道場での鍛錬や試合などの一通りの話が終わったところで徳利の酒がなくなり、総悟が席を立とうとするのを土方は制した。

「もう休む。床の用意をしてくれ。お前も下がっていい」

総悟は頷き、少し迷ったように口を開いた。

「あの、」

緋色の瞳が土方をじっと見つめる。

「何だ」

「俺も、ここで寝てもいいですか? 衝立をして、迷惑をかけないようにしやすから。自室は他の奴らと共用なんで、ゆっくり眠れないんでさ」

睫毛を伏せてそういう総悟は、実に美しく土方の目に映った。

「……構わねェ。好きにしろ」

総悟の表情が緩んだのを見て、やはりまだ幼い子どもなのだと土方は思った。

総悟が女中を呼び二人が床の準備をしている間、土方は改めてこの座敷をじっくりと見ていた。 隣の座敷では宴会をしているはずだが、さほど音は聞こえない。南向きの窓もついていて日当たりも悪くはなさそうだ。 文机でも置けば、ちょっとした仕事のスペースにもなる。

隠れ家の一つとしてこの店と関係を持っておくのもいいかもしれない。 用意された上質な羽毛ぶとんに潜り込み、そんなことを考えながら眠りについた。

    ◇

翌朝、土方は起床し身支度を整えると昨晩寝る前に浮かんだ考えを胸に店主と話をつけにいった。 土方の提案に、店主は嬉しそうに首を何度も縦に振った。

再び土方が奥の座敷に戻ると、女中と総悟が朝食の支度をしているところだった。 朝食の盆の前に腰を下ろすと、土方は手招きをして総悟を呼び寄せる。

「お前ごと、この部屋をしばらく借りることにする」

「へ?」

淡い灰色の長着に身を包んだ総悟が丸い目をさらに大きく見開いて首を傾げた。

「屯所の自室だと他の隊士がひっきりなしに尋ねてきて仕事にならない時がある。ここなら邪魔も入らない」

そう言いながら土方が懐から取り出した煙草に火をつけた。それを見た女中が灰皿を土方のそばに置く。

「お前にも都合がいいだろ。俺がお前をこの部屋ごと借りる間、お前は天人や坊さんに抱かれることはねェからな。適当な水下げ客を探すと良い」

「……お兄さんに借りられている間、俺は何をすればいいんで?」

「別に何も。この部屋を好きに使えばいいさ。菓子でも食ってゆっくりしてろ」

「本当に?」

「本当だ」

状況がまだよく呑み込めていないのか、総悟は目を何度もパチパチとさせている。 土方は先ほど店主に用意させた契約書を懐から出し、総悟の前に置いた。

「お前、字は読めるか」

「もちろんでさ。姉上から一通りの読み書きは習ってます」

どこか誇らしげに言った後、総悟はそこに書かれている文字を目で追った。

「これ、お兄さんの名前で……?」

総悟が契約書の最後にある署名欄を指でなぞる。

「……土方十四郎だ」

煙草を灰皿に押し付け、土方は名乗った。

「土方、さん」

ポツリと総悟が呟く。

「今度、書き仕事をしにまたここに来る」

お待ちしておりますと総悟に見送られた土方は足取りも軽く屯所に戻った。 陰間茶屋の部屋を陰間ごと借りることになるなど想像もしていなかったが、良い場所を見つけたと思った。

    ◇

「トシ! 帰ってるのか〜? トシ!」

けたたましい足音と大声に、屯所の道場で素振りをしていた土方は腕を止める。

「そんなにでけェ声出さなくても聞こえてるよ」

どすどすと道場に入ってきた近藤を見ながら汗をぬぐう。

「やっぱり先に帰ってたんだな」

そういう近藤は今帰ったばかりなのだろう。

「お前、床入りせずに店出ちまったって聞いたけど」

「悪りィ。結局他の店に行ってさっき帰ってきたところだ」

陰間茶屋で一夜を過ごした、とはさすがに言えなかった。まぁこれも嘘ではない。

「別にいいんだけどよ、だいぶ顔色もよくなったな! 最近疲れてるんじゃねェかって心配してたんだよ。やっぱりたまにはハメはずさねェとな!」

昨夜と同じ太陽のように笑った近藤が肩をバシバシと叩き、去っていった。

「……」

昨晩の討ち入りで体に篭った熱は、実は先ほど自室で処理をしたばかりだ。 茶屋で性的な行為に及ばずに、結局自分で慰めるとはおかしな話ではあるが、やはり土方には男の春を買う趣味はないのだから当然である。

――今夜あたり馴染みの店に行くか……。

江戸に来てからいくつかの店に通い、自分好みの女がいる店は把握している。 そうと決まればさっさと討ち入りの書類を仕上げてしまおうと自室に引き上げた。